2008年度 総合科学部 人間社会学科 国際文化コース 文化情報サブコース 学部課程 — 2年(前期)

2008年度 総合科学部 人間社会学科 国際文化コース 哲学·思想サブコース 学部課程 — 2年(前期)

2008年度 総合科学部 人間社会学科 国際文化コース 歴史·社会サブコース 学部課程 — 2年(前期)

理論社会学研究(その1)

教授・吉田 浩

2単位

目的

「事実判断と価値判断との関係について――ウェーバーとヘーゲル,マルクスの所説を中心として」と題して講義する.価値判断とは,例えば今の資本主義の現状は良いまたは悪いと評価的に判断することであり,資本主義が悪いなら,それはどうあるべきかという「当為」(Sollen)を設定することである.この事実判断と価値判断との関係について,科学は事実判断を行うことができるだけで,価値判断を与えることは出来ないと主張して,事実判断と価値判断,存在と当為(かくあるべきだという希望の原理)とを峻別したのはマックス・ウェーバーであった.ウェーバーは価値判断を行ってはならないと主張しているのではない.各人は自分の理想としての価値判断を持つべきだし,また他者の価値判断に比して,自分の理想が正しいことを他者の理想と闘って決着をつけるべきだとウェーバーは指摘するのだが,この闘争に決着をつけるのは科学ではなくて運命だというのである.これがウェーバーをしてあまりにも有名たらしめている「価値自由」(Wertfreiheit)論=「価値判断排除」論である.ところがヘーゲルとマルクスとは,これとは全く異なることを主張する.「バラは赤い」,「このストーブは熱い」といった自明な事実判断だけを科学の名の下に行っているような者を,誰も判断力ある人だとは考えず,「人間いかに生くべきか」,「21世紀の日本はどうあるべきか」という判断形式に回答を与えてこそ,科学は科学たりうるとヘーゲルはいうのである.このヘーゲルの主張はそのままマルクスに継承されている.そこでウェーバーとヘーゲル,マルクスとの間で,なぜこのような巨大な見解の差異が生じてくるかということと,いったいどちらの見解が正しいのかということが大きな問題となってくる.本講義では,このテーマのを課題とし,この問題に解答を与えることを目的とする.

概要

ヘーゲルとマルクスの事実判断,事実認識をとことん明らかとし,彼らにおいては最高の事実認識,事実判断は価値判断に通ずることを明らかにし,それとの関係でウェーバーの理論を反省的に検討していく.

キーワード

事実判断,価値判断,存在,当為,価値自由,神々の闘争

注意

少々難解でも,旺盛な知的関心をもってくらいついてくる学生諸君を歓迎する.

目標

1.「人生いかに生くべきか」,「21世紀の日本はどうあるべきか」という問題に回答を与えてこそ,科学はその名の値するのであり,このことを否定して科学は事実判断にのみ限定されるべきだと指摘するウェーバーの「価値自由論」の克服をめざす.

計画

1.初めに――問題設定
2.事実判断と価値判断とを峻別することを主張するウェーバーの真意
3.同上
4.現実を科学的に把握することは,この現実に対する懐疑と批判という評価へと通じていく
5.同上
6.安易な現実把握は,この現実に対する無批判的肯定という価値判断へと転化する
7.同上
8.ヘーゲルとマルクスとでは,「当為」は現実に内在している.
9.同上
10.ヘーゲルとマルクスとにおける未来を展望する「価値理念」とウェーバーのそれとの差異
11.同上
12.ウェーバーの「実質合理性」の判断とヘーゲル,マルクスの「概念の判断」との差異
13.同上
14.終わりに
15.同上
16.試験

評価

試験の際のレポートと,講義内容に対する疑問,問題点を指摘する小レポートとによって総合的に評価する.疑問,問題点の指摘に対しては講義で答える.

再評価

教科書

なし

参考資料

ヘーゲル,『大論理学』,『小理論学』等々,マルクス,『資本論』等々,ウェーバー,『職業としての学問』,『社会学・経済学の「価値自由」の意味』,『社会科学,社会政策的認識の「客観性」について』等々

連絡先

吉田(088-656-7198, yoshida@ias.tokushima-u.ac(no-spam).jp)
オフィスアワー: 水曜日 12時∼13時

備考

教職単位として受講する場合には2単位でよい